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楽になるのは誰? [病気・ヘルスケア]

オードリーは今日も頑張っています。頑張って欲しいわけじゃないんだけど、頑張ってるとしか言いようがない状況です。

4月10日の朝、ムース風に調理した鮭を一匙口にして以来何も食べていないと前回書きましたが、シリンジでの水分補給も15日から受け付けなくなりました。全身激しい脱水状態ですが、輸液をしているので生きています。

ギュスターヴの看取りから学んだのは、最後軟着陸するにあたって一番肝心なことは『水』のコントロールだということでした。

ギュスの時は、脱水により落ち窪んでいく眼球や、張りを失って上下の歯列の間に垂れ下がり、食いしばった犬歯によって傷つき、終いには穴が開いてしまった上唇を見るにつけ、少しでも輸液で潤った方が楽なのではないかと思い、輸液を続けました。

亡くなる二日前だったか、もう口からは飲めませんという意思表示のように、洗面器一杯分くらいと思える血液交じりの『水』を吐きました。口が乾くのか、食べなくなってからも経口補水液(薄めたポカリ)をけっこう飲んでいたのですが、恐らくきちんと処理されずに胃に留まっていたのでしょう。(でもこれが全部ではありませんでした。もう1回同じくらいの量を吐きました)

にもかかわらず、私はせっせと輸液を続けていました。

そして、息を引き取る直前にも500cc1本を点滴し、亡くなったギュスの背中には、吸収されなかった輸液がタポンタポンに残っていました。

それまで私が看取った人間たちは、終末期の輸液で手足はじめ全身が浮腫むことが大部分でしたが、ギュスはある時を境に浮腫みは解消していました。輸液を始めてはいたけれど、まだ口からも飲んでいた時期だったと思います。

思うに、この時点で水分補給を止めていたら死期は早まったかもしれませんが、朦朧とする意識のなか、もう入って欲しくない『水』を拒むこともできず、辛い時間を長引かせることはなかったのではないかと、見送ったのちに、喉に刺さった小骨のように私の心をチクチクと刺し続けています。

そんな後悔から、オードリーの看取りの際は輸液はしないと決めていたのに…

できませんでした。

ギュスとは違って気道が塞がっていくという状況のオードリーについて、呼吸困難の進行とともに激しく悶えながら吠える姿をみていて、呼吸が楽にならないのなら、せめて脱水だけでも緩和してやる方がオードリーが楽なのではないかと思ってしまったのです。

獣医師には終末期でも体が枯渇しているより潤いがある方が呼吸等は楽なんだと言われたこともあるし、実際、輸液をすると呼吸が穏やかになっていくのが分かりました。

それでも、オードリーの体格から適量と考えられる量の半分ほどを1回で点滴したところ、最初の時は吸収されるのに15時間くらいかかり、間違っているのではないかと自問しました。

先生は、既に脱水が進んでいて末梢血管が潰れている(干からびている?!)から上手く吸収しないので、何度か続けて血管が潤えば吸収するようになるはずと仰るので、2回目からは一度に7~80ccくらい点滴して、吸収され切るのを待って次の輸液をするようにしたところ、吸収がスムーズになり、オードリーの体にも目に見える変化が起きました。

骨皮筋子ちゃんになってしまって、肋骨のみならず殆どの骨格が浮き上がって見えていたのが、全体的にふっくらして、毛並みまで立ちあがってふんわりしたのです。

そしてシリンジでの経口補水にも応じるようになり、時には体を起こして晴れやかな表情を浮かべることまで。

この時点では、あ~補水を断つのはまだ時期尚早だったんだと納得したのです。

でも一方で、呼吸困難はじわじわと進行して、ギリギリの脱水状態よりはゆとりがあるからか、口の腫瘍や全身のシコリからの出血と鼻水が止まらず、見た目はますます辛そうになっていきました。

そこで今度は濃縮酸素を導入して酸欠を和らげることになり、結局ギュスターヴの終末期と同じ対応を取ることになりました。

濃縮酸素で幾分楽になったのか、しばらくは悶えることが下火になったものの、導入から1週間ほどで追いつかなくなったようでした。

またもがきはじめ、日に日にエスカレート、激しく前足をバタつかせ、頭をもたげ、上体を起こそうと暴れます。激しく動けば酸素消費量が増えるため、ますます酸素が足りなくなって苦しくなります。

そうこうするうちに15日からはシリンジでの補水を拒否するようになり、あ~今度こそ『水』を切るときが来たんだ、と感じました。

しかし、背中に入れた輸液はきちんと吸収され続け、排尿も自然(失禁?)だったり圧迫だったりで出せていて、何より、輸液することで幾分ですが呼吸も穏やかになるようでした。

でも、15日から16日にかけては夜通し(息苦しくて!)もがきながら吠え続けました。

16日は火曜日でした。翌日は休診日です。

ほぼ一日分ずつ出してもらっている輸液の追加を取りに行くにあたって、このまま続けるか、最後の決断(=安楽死)をするか、オーパパと話し合いました。そして、決断しようという結論に達したのですが…

クリニックで先生にその旨告げると(診療開始前に留守電におおよその状況と結論を入れておきました)、我が家の意向は理解したけど、最終決定の前に輸液に鎮静剤を混ぜて落ち着くかみてみませんかとの提案を頂きました。

先生としたら、いざ安楽死を実行するとなると、他の飼い主さんの目もあるのでしょう、診療が終わる頃合いで連れてきてくれればということで、それまでの半日の間、苦痛で吠え続けるよりは鎮静をかけてみて落ち着けばその方がいいという意味合いもあったのかもしれません。

すると、数日前に試した経口の鎮静剤はまったく効かなかったのに、輸液に混ぜた鎮静剤はみるみるうちに効き目を見せて、点滴しているうちに呼吸が穏やかになって、もがくこともなくなりました。

現金なもので、穏やかに寝息を立てるオードリーの姿をみると、朝の決心はすっかり鈍って、このまま鎮静をかけながら自然に命が終わるのを待とうという方向に気持ちが傾き、夕方、クリニックを再訪して鎮静剤入りの輸液の追加を貰ってきました。

クリニックが休みだった17日は鎮静剤入りの輸液を1回100ccずつ3回点滴しました。呼吸は終日穏やかに過ごしたのですが、午後は口からの出血が酷く、7時ごろ大量に出血しました。そして、その直後、突然呼吸が弱々しくなり、もう虫の息という感じ。そして、2回ほど呼吸が止まりました。1回目は2~3秒、2回目は5秒くらいだったでしょうか。

間もなくオーパパが帰ってくるとあって、つい「もうすぐパパ帰ってくるからガンバレ!」なんて声を掛けて体をさすっていたら、オードリー、こちら側に戻って来ました。呼び戻してしまったかも。

この日は夜も静かで朝までぐっすり眠りました。久しぶりにみんな眠った??

静かに眠るオードリーの様子から、パパは「もう鎮静剤いらないんじゃないか?」って。予定だと昼には輸液がなくなるためクリニックにいって先生に前日からの経過を報告したところ、先生も「だいぶ体力が落ちて来てるようですし、鎮静かけなくてもいいのでは?」とパパと同意見で、この日の輸液には鎮静剤は混ぜませんでした。

帰宅して昼前に輸液のみ100cc弱点滴して様子をみていたのですが、次第に覚醒してきて、まずイビキが酷くなり、息苦しさでもがきだし、遂には吠え始めました。どんどん動きが激しくなって、それに連れて酸欠が昂進するという悪循環が始まりました。

でも、この日の吠え方は、吠えるというよりは哭いているように聞こえました。それまでのけっこう力強いギャンギャンという吠え方ではなく、キャンキャンというヒステリックながら力がない声で、時々キャァ~~~ンと絞り出すような鳴き声でした。以前の吠え方が要求吠えという感じだったのが、この時は懇願というか、断末魔の叫びのようにも聞こえて、居ても立っても居られない気持ちになりました。

なので午後2時半ごろ鎮静剤入りの点滴を入れましたが、昼前に入れた鎮静剤なしの輸液が吸収されずに残っていたところへ、オードリーがもがくので針が上手く入らなかったり、入っても抜けたりで、5~60ccやっとしか入れられませんでした。

なかなか鎮静がかからず、1時間くらいたってやっと軽いイビキをかきはいめたものの、眠りが浅いようでちょいちょい起きて息苦しいと訴えます。なので夕方5時前に再度鎮静剤入り輸液を点滴して、この時も1回抜けましたが、どうにか80ccくらい入りました。

ここから2時間くらいして背中の水がずい分減ったと思ったら、ようやく本格的に眠りだしました。

この騒動で、あ~まだまだ覚醒していたら苦痛を訴えるくらいの体力が残っているんだなぁ~何とかして欲しいんだよね~と思い知りました。

安楽死という選択をしないのであれば、この先いつまで続くか分からないけれど、もう終わるまで鎮静をかけて眠らせるしかないんだな、とも。そうまでして生かし続けることの意味を考えずには居れませんでした。これでいいのだろうか、と。

最初に輸液を始めると決めた時、ギュスのことがあって躊躇していたママに、かかりつけの先生は、「確かに延命処置には違いないけど、オードリーはまだまだ体力あって、身体状態もそんなに悪くないし(そうなの?!)、呼吸も自発呼吸をしているので、補水して潤った方が体が楽だと考えます」と仰いました。

そしてママもパパも同じような考えに至り輸液に踏み切ったのです。

でも今日は11時前に70ccほど鎮静剤入りの輸液をしたきりです。午後はけっこう酷いイビキと鼻詰まり、口からの出血が続いていましたが、水分がすっかり吸収された4時ごろからイビキをかかなくなり、出血も止まっています。そして呼吸も、規則的なのに苦しそうではなくて、見た目には全体的にとても楽になってるように見えます。

でも脱水が進んでいることは間違いありません。

しかし、ここでもう一度輸液をしたものか、本当に悩みます。

一度は安楽死させる決心をしながら、今は鎮静剤の入った輸液で苦痛を鎮めて最期の時を待っているわけです。鎮静でもあり、補水でもあります。『水』をコントロールすることで生かさず殺さず延命しているのがママなのだと思うと情けなくもあります。

オードリーが苦しむのを見守る辛さから逃れて楽になりたいから、『延命』と分かりながら処置を続ける、それでも苦痛がやわらげられないなら『安楽死』を選ぶ、でも鎮静剤で容体が落ち着いて見ていられるようになったら、また『延命』に走る。

終末期の選択は、オードリーを楽にするためなのか、自分の気持ちを楽にするためなのか、分からなくなってしまいました。

<今日=4月19日のオードリー>
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