Audrey's Memory - その2 [つぶやき]
オードリーを送って今日で丸一年。仏教的には一周忌です。
この日までに、記録を兼ねて最後の日々の様子をまとめてブログに綴るつもりでしたが、当時の記録や画像などに向かう気持ちになれずに居りました。
でも、やはりこの機会を逃したらもう永劫向き合えないかもしれないから、思い浮かべることのできる範囲で、少しだけ書いてみます。(画像も引っ張り出してみようか...)
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体表にブルーベリーのような紫色の球状のデキモノが広がっていき...自壊して...ケアしても、しても追いつかず...
ギュスのときは車に載せるのが困難だったので往診して頂きましたが、オードリーは抱っこできる体格だったため往診はなし、診て頂く場合は連れて行くことにしていましたが、最後に受診したのは亡くなるほぼひと月前の3月24日でした。
口腔内、上下の噛み合わせの一番奥にできたデキモノが急に大きくなったのと、例の紫色の粒状のデキモノが増加・増大しだしたためでした。
どちらも視診・触診では皆目見当がつかないモノで、究明するなら切除して病理に出すことになるけれど、結果悪性だったとして、この期に及んで麻酔で除去するかといったら、その選択肢はないと決めていたため(かかりつけの先生も了承済みでした)、だったら検査する必要はないという結論に。
また、今後は基本緩和ケアというか、自宅で出来る範囲の介護&看護にするとも話しました。
ただ、その時点では食欲もあったし、介助してやれば体を起こすことも排泄することもできていたので、現状把握という観点から血液検査だけして頂きました。
元より貧血傾向ではありましたので、CBC、特に赤血球関連の数値は基準値をかなり下回っていましたが、これは昨日今日に始まったわけではないので驚くことではなかったし、T-bilの値が0.1というのはオードリーにしたら悪くはありませんでした。
食欲があるとはいえ痩せてきていることから、なるべく栄養価の高い、良質のたんぱく質で消化の良さそうなものを与えるとか(腎機能が問題なかったので)、ヘモグロビンの値がかなり下がっているので、酸素吸入を始めた方が楽かもしれないとか、そんな話をした記憶があります。
3月29日の16歳の誕生日にはバースデーケーキも食べて、まだまだ大丈夫だと感じていたのに、突然でした。
誕生日の三日後からぱったり食欲がなくなってしまったのです。食欲がないのか、口のデキモノが障るのか、見極めが難しかったので、ゼリーやムースなどを手から上げてみたり(スプーンは嫌そうでした)、シリンジからミルクをあげてみたりもしましたが、やはり食欲がなくなった(=最期を迎える支度を始めた)ようでした。
ギュスを看取った経験から、輸液による補水で生き永らえさせることには抵抗がなかったわけじゃないのですが、結局、脱水で干からびていくのをただ待つことはできませんでした。
もし痛みが我慢できるレベルであれば(犬は人間よりは痛みに鈍感といわれていますよね)、後は水分コントロールが鍵だと考えていたので、最終的に口から飲食できなくなったら、皮下点滴による補水を脱水の状態に合わせて、少量頻回で行うことによってソフトランディングさせてやりたいということを伝えたら、先生も了解して下さって、500ccの輸液1パックにつき針を3本くらい出してくださいました。
でもね、ギュスと違って、オードリーは痛みに対して我慢強くなかったのか、それとも痛みのレベルが上回っていたのか、それまでは尿意を催したときだけに激しくもがいて「トイレ連れてって!」と訴えていたのが、排泄欲求ではないと思われるときにも激しくもがくようになりました。
どうやら、痛みか息苦しさからくる苦痛を訴えているようでした。
口腔内の腫瘍が恐らく鼻腔の方まで浸潤するか、肥大して鼻腔を圧迫して空気の通りが悪くなっているようにもみえましたが定かではありません。
日ごとにもがき苦しむ時間が増えて行き、亡くなる6日前は夜通し泣き続けていまして、苦痛が極限に達していると判断、安楽死を選ぶことがオードリーのためのように思えて、朝イチでかかりつけに相談に行きました。
先生も拒絶はされませんでしたが、いま一度だけ、輸液に鎮静剤を入れてみてはどうかと提案頂きました。
それでどうにもならなければ、万策尽きたということなので連れてきてください、と。
この時点で、本当に安楽死させるつもりであれば、オードリーを伴って行ったことでしょう。
でも一人で行ったのは、きっと私の中でまだ迷いがあったからだと思います。
“虫の息” という言葉がありますが、オードリーの呼吸は苦しそうであるけれど弱さが感じられなかった、とでもいいましょうか...その息をオードリー自身ではなく、私が止めて(実際には獣医師ですけど)いいものなのか、決められませんでした。
結果としては輸液に混ぜた鎮静剤・消炎剤・抗生剤が効いて、息遣いがだいぶ楽になり、全身状態も落ち着き、昏々と眠り続けました。
そして、今度こそ呼吸が弱々しくなっていき...
それを伝えると、先生も、もう力(生きようとする?)が尽きてきているのかもしれないから、鎮静かけなくても穏やかな状態を保てるかもしれないとのことで、いったん輸液に薬を混ぜるのをストップしました。
が、オードリーはこれに抗うかのように、鎮静が切れた瞬間から泣き叫びだしました。
でも薬なしで皮下点滴した輸液が吸収されないうちは新たに薬を混ぜて輸液を点滴しても吸収されないため、先の輸液が吸収されるまでの数時間、これを断末魔の叫びというのかもしれないというような悲痛な鳴き声を上げ続けました。
今でも、この時の情景が浮かぶと、あの叫び声が頭の中で響きます。生涯忘れることはないでしょう。
薬を混ぜた追加の輸液が吸収されて鎮静が効き寝息をたてはじめた時は、心底ほっとしたのを覚えています。
ここから最期の瞬間までの二日間は鎮静剤でほとんど眠り続けました。
鼻腔や口腔に膿が溜まると鬱陶しそうに顔をしかめるので、その都度湿らせたガーゼで拭ってやると幾分気が晴れたような表情を浮かべることもありました。
そして、遂に最期の時が。
口腔ケアのあと、少し口を湿らせてやろうと台所に立ち、ガーゼに氷を包んで戻って来て口を開けていたら、なんだかぐったりして様子が変。ふと足の方に目を向けると、大量に失禁していて、視線を口元に戻したときには息が止まっていました。臨終です。
土曜日の夜でした。
パパと一緒に最後のケアをして、ずっとずっと見守って下さった方々にオードリーが息を引き取ったことを伝えました。
もう、泣けて泣けて、涙が止まりませんでした。
ギュスターヴの時は随分後まで泣けなかったのに、なんでだろう。近親者を看取ったときも、しばらく(数年?)泣けなかったので、わんわん泣いてる自分が不思議でした。
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この一年、オードリーのことを思い出さない日はないくらいでしたけど、でも最後の日々を思い返すことはできませんでした。今日も、まさか書けるとは思っていませんでしたけど、なんだかほっとしました。供養できたと思います。
(画像・映像も上げることにしましたが、見るに堪えないおぞましい状態だったので、記事の末尾に畳んでおきます。何かの参考になればと考えてのことですので関心のある方はご覧ください。)
でも、衝撃画像(?)はひとまず保留して、先に楽しかった思い出を貼りますね!
不要不急かもしれないけど、昨日、お供えするお花を求めて花屋さんまで行って来ました。花屋の店員さん以外とは一切対面も会話もせずに帰宅しました。^^;
そして、ギュスのときには割とすぐに飾る写真を選んだのに、オードリーのは、これまで飾ってたのを流用してたため、これを機会に写真立ての画像を変えてみました。
画像を選んでいるときに候補にあがったのを印刷してボードに貼り付けてワンコ・コーナーの上部に飾ってみましたが、なんかゴチャゴチャしてるかも。カレンダーをどこかに移動するとか??^^ゞ
ボードに貼ったの以外にも何枚かピックアップしたので、memories_02としてスライドショーにしてみました。
どうしても登山がらみの画像が多くなっちゃうんですよね。
なので、生前お世話になった縁の方々に送った(押し付けた?!)フォトブックも公開しちゃいますね。こちらは若かりし頃のオードリーの日常です。^o^
このほかにも、先日の『センチメンタルジャーニー』で訪れた場所で撮ったのも見つけちゃいました。
これ(鳥居原@宮ケ瀬)とか…
これ(山スポ@戸川)とか…
これ。(いわずと知れたグランド@町内)
で、最後は、オードリーもよく二足立ちしてたっけ、の画像。(^▽^;)
そのうちオーギュス一緒のメモリアル画像もアップするかも~またヨロシク!
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では、これより暗くて重~い画像です。